■国籍取得と政治への参画

柏木 「三番目に、国籍の事を徐さんはおっしゃられましたけども、かれこれ十何年か前に『青丘』という在日の雑誌がありました。そこに寄稿させていただいた時に、在日の人は日本国籍を取るべきではないかというような事を書きました。それを書いた時に、周りの人は『お前は在日でもないのに余計なことを言わん方が良い』というような事を言われたのですが、結局、私の論文がどれだけの人に読まれているのか、あるいはその中の短い部分ですから果たして読まれたかどうかわからないですが、あまり反応が無かったです。何故そのような事を言ったのかと言いますと、当時徐さんが政治的な形に話を持っていかれてもなかなか問題は解決しないと言った時に、やはり政治的な枠組みに乗せるのは必ずしも国籍だけではないんですけれども、先ほど言いましたようにゼネストをするといったことを含めて政治的圧力をかけることもできるんですけども、やっぱり法律にしていかないとなかなか物が進まない。そして、投票権を持っている人がものを言うのと、持っていない人が言うのでは、議員に対する圧力というのは全然違うということが現実的にあるんです。
 そういう点で言いますと、80年代で日本とアメリカの中の人権の問題を見ていたときにアメリカでは戦後補償の問題で、戦後補償とはアメリカでは言いませんけれども、日系人が第二次大戦中に強制収容されたときにその補償を求める運動というのが大分長い間行われてきて80年代に法律として成立しました。在日でも戦後補償の問題とかいうような事が言われてたんですけども、アメリカの財政と法律として出来た理由は何かと言いますと、日系人というのは百万人しかいないんですね。当時の人口で言えば二億五千万ぐらいでしょうから、そうしますと0.5%もない状態で、日本の場合で国籍を取った方を含めると在日は百万人ぐらいと言われていますよね。そうすると1%近い、それにも関わらず法律が出来ない。それは、色んな要件がこちらにはあるので、国籍だけの所為にするのはもちろんできないんですけども、でも、国籍を持ってそして議員が日系人の議員として出て行って、その人たちなんかを含めて法律を提案して、そして通して形にしていくという事は重要だと思ってはいました。そういう点では、徐さんがおっしゃられるように国籍を取っていくというのは、当然在日の方々の内部で議論はあるでしょうけど、やはり重要な選択肢の一つとしては検討すべき事ではないかなと思っています。徐さんが『国家に対する忠誠ではない』という風に…要するに国籍を取ることがですね。アメリカではナチュライズする時には忠誠宣言というようなこともするんですけども、ただ基本的には憲法に対する色んな考え方が強いんですね。国というのは非常に抽象的ですから、憲法という中で色々な国に対して未分化した権力を誇張しているものとして守っていこうという考え方であって、抽象的な国に対しての忠誠ではないのではないかと思うのですが、その辺りを含めて議論が進んで、国籍取得そして政治的な権限も獲得していくというような事も必要なんじゃないかなと思います。
 以上の3点。簡単ですけれども、コメントとさせていただきます。ありがとうございました。」

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