■国籍差別撤廃こそ本質的課題

佐野 「佐野です。今紹介いただきましたが、ちょっと自己紹介も兼ねてお話したいと思います。東京にいまして、その頃は李相鎬会長と一緒に活動していました。83年から84年にかけて大学院の最後にソウルに行ってまして、就職が決まったんで、四国の方に84年に就職して24年間過ごしました。最初の一年間は四国の島にこもってばかりいたのですが、翌年(85年)になって職場の関係者の中でも指紋押捺拒否者が出て、これは大変だということで、大阪の方から情報を聞かなくては思い、島から出ました。明くる年の民闘連大会に参加しました。
 徐さんとはそこからの付き合いで、今年の夏ぐらいに大阪の方に来る機会があって、電話したら『いや、今は一生懸命修士論文の原稿書いている』と聞いたのでびっくりして、その後送られてきたのが論文でした。
 基本的な現代の停滞(民族差別撤廃運動)の問題その他について、大きな意義があるといいますか、やっぱり、"その中"で見てきた人間だというので感動するんですけども、一つだけうーんと思ったのが、日本国籍を与えるという法律が提起されたことで参政権運動が停滞したという部分ですが、日本国籍取得法ができてしまったならばそれは分かるわけです。ところが、結局あれは騙しだったわけで、本来であればここでさらに運動は『うー、騙しやがって!』と怒って然るべき話だったところが、国籍取得も停滞し、参政権運動の方も。確かにそれが契機に停滞したとも言えるわけです。
 そうすると本当に国籍取得法が出来たから停滞したとするならばよく分かるのですが、騙しをされて停滞したとなれば徐さんが深い分析をしている他の要因といいますか、世代的な問題だとか色んな運動全体、社会全体の動きというものが運動の停滞をもたらしたのではないかという気がするわけです。それとの関連で言うと国籍取得について在日コリアンが日本国籍を取得すること自体、あるいは在日コリアンも"取得"ではなくて"日本国籍があるんだ"という事自体は、僕は人権協会ニュースにも書かせていただいたとおり異議は無い訳です。逆にすべての在日コリアンに二重国籍があってもおかしくないとも思っている訳です。
 もう一つは出生地主義といいますか、生まれた事によって国籍があっても当然ではないかという思いもあります。そうなると、徐さんが主張するところの日本国籍を進んで取得する運動が一つの解決策だというところに疑問はあります。いわゆる旧植民地出身者としての在日朝鮮人よりも、それ以外の外国人が圧倒的な世の中になってしまったわけですね。もしそこで、もちろん日本の社会でいわゆる民族差別を外国人差別、国籍差別という形で表現してきた1980年代までの間というのは、それはそれで民族差別を国籍差別ということでやってきたという問題はあると思うんです。今ここで、国籍取得で解決するとしてしまうと、結局、由来が違う、それぞれの置かれている状況も違うんですが、外国人として日本にいる人たちが圧倒的に多数になっているわけです。旧植民地出身者より、来年当たり中国籍者の方が抜くんだと言われてますけれども、それらの人たちの人権がどうなるのかと。すべての日本に来た人がすべて国籍を取れば、それはもちろん国籍差別という形で表現されてる差別は解決するわけですが、やはり国籍が徐さんが書いているように、人権というのは国家とか国籍とか関わりなしに人間として生まれて持っているものだという、そうであれば色んな差別の問題解決を"国籍の事"で解決してしまうと、結局そうではない多くの外国人たちに対する差別、まぁそれはそれで、在日コリアンがやることじゃなくてニューカマーがやるんだという徐さんは言ってるのですが、その解決方法を国籍取得だけに求めてしまうとおかしいんじゃないかと。
 要するに今は在日コリアンが外国人として扱われている民族差別があり、国籍差別があり外国人差別があり、その問題を直さないといけないわけですが、それとは別に差別は国籍があれば解決するんだという考え方は違うのではないかなという気がしました。」

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