■対立のある組織は"生きた組織"

吉田 「僕自身が台湾やアジアで民主化ということを過去30年来勉強し、実際闘いの現場に行って、活動したり物を書いてきたときに一番感じたことは何かというと、『より良いシステムというのは内部に対立があって、主流派が間違っているときに間違っていると言う風に自己訂正をするような、そういう力を持っている団体を良い組織という』こういう風に私は考えてきました。ですから、派閥抗争のある団体は良い組織だ。意見の違う連中がワイワイガヤガヤ言うのは"生きた組織"だ。それがない団体は大きな間違いをする時に、自らの過ちを正すことができない。こう考えてきました。
 僕はがんの患者として、体温を高めるために老人施設に毎日風呂に行っています。その老人施設でも結構派閥抗争がありまして、老人会の副会長と角刈りのオヤジが物凄い派閥抗争をしていまして、脱衣所に行ってみると7?8人の裸のおっちゃんが取っ組み合いの喧嘩をしているのでございます。いずれにしてもどんなコミュニティにも対立があり派閥抗争があると活気があります。対立のないようなところに命は生み出されないという風に僕は考えております。
 ですからそういう意味では、グローバル化が進み一人勝ちしている企業の圧力に対して、企業内の労働組合が物を言うことを止める。事業がなくなったら解放同盟については、闘いを既に街頭で見ることがほとんど無くなるような団体になっている。何回も何回も満身の憤りを込めて糾弾するような文書が出てくる、腐敗事件がおきても、大会文書や活動家の会議を見ると、主流派の責任を追求して『俺が代わりにやろう』という人が出てこない。私は教員ですから、大阪府連(部落解放同盟大阪府連合会)の人権大学院の案内書がいつも来るわけですが、出席者が70〜80人いますと、20人ぐらいがリバティおおさか(財団法人大阪人権博物館)の主事だとか社会主事だとか、ほか40人ぐらいは企業関係者です。部落のおじさんおばさんたちは一体どこにいます?誰もいないんです。そこまで動員が企業にぶら下がって、一人勝ちしている企業に対して激しい怒りをぶつけるといったこともない。こんな現状は僕はとても考えられませんので、『あっ。これも焼きがまわっているな。』と思っている次第でございます。
 ですから僕はそういう意味では、是非徐正禹さんが『派閥抗争はより良いものであって、生きた社会というのは対立があるものだ。』という論議を多元的民主主義という事でお考えになって進めるということは誠に好ましいことだと思います。対立があれば何が一番良いかといいますと、お互いの欠点を暴きあう訳ですから不正はまず起こりにくい。従って、不正を無くそうとするならば、お互いが相手の欠点を暴きあうような公然たる論議があって、けん制し合うシステムが良いに決まっています。これは別に、難しい思想はいらない考えなんじゃないかと思う次第でございます。
 活発な内部の対立を含めた組織運営を、あるいは、そういうものを抱えた組織運営とはどういうものかという事を徐正禹さんがお考えになって進んでいこうということについて、敬意を表したいと思います。
 もう一つ僕がアジアの民主化の問題でやっている時に僕の学生のモンゴル族の青年がいるのですが、先日ダライ・ラマの集会が東京でありまして、モンゴル族の青年が日本で6000人留学しておりますが、600人のモンゴル族の青年が内モンゴル・外モンゴルの独立を求めて結集しています。チベット族のダライ・ラマの集会にモンゴル族全体の1割の留学生が集まるという、熱い心を燃やしているのです。今年の6月は内モンゴルのフフホトで大学生が土地の収用に抗議するために大きな抗議行動を起こしています。私の学生の場合、去年、ウランバートルで国際モンゴル学会で発表した論文が最高賞に輝いたわけですが、内モンゴルに帰ってくると公安がすぐ飛んでいって『お前は何を発表したんだ』とチェックしています。出国できないんじゃないかと思う。というような、絶えず厳しい監視の中で闘っていらっしゃいます。
 それに比べれば、我々の社会では徐正禹さんぐらいの事を言ってもパクられる心配がなければ、何を恐れるのかと思います。煮て食おう焼いて食おうという中国共産党とは違って、殺されることはまず無いわけですから、やりたい放題のことは出来るんじゃないかと思います。僕はそう思っておりますので、是非徐正禹さんに『死ぬことを恐れなければ何でも出来るんだ。』という事を考えてやっていただきたいと思います。僕が尊敬しているのは西郷隆盛ですから、『死ぬことを恐れなければ、何も恐れるものは無い。大きな事件はそれ以外に出来ない。』という過激なメッセージをお送りしたいと思います。」

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