質疑に対する基調報告者の回答および感想
■自治、分権、多元化民主主義

「最後にいくつか皆さん方からご質問や批判もありました。私はむしろ批判の方が有難いわけで、自分の弱さを補完していただきますんでね。全部は答えられないとは思うのですけども、たとえば『国籍を取得すれば解決するのか?』という事ですけど『できる部分もあればできない部分もあろう』と。国籍取得をすれば、国籍差別は無くなります。しかし民族差別は残ります。凄く乱暴な比較ですから怒られてもいいんですけど『部落民レベルにまではなれるかな』という事ではないのかなと思います。それから中田さんからの質問ですが、府連との袂を分かった具体的な状況を聞きたいということですが、これを話し出したら一晩二晩かかります(笑)。これは別の機会に譲りたいと思います。びっくりするような話が一杯あります。さすがに修士論文には書けませんでしたけど。
 それから『やっぱり多文化共生はいかんというのは分かるけど、それに何を対峙するんだ?』という事なのですが、僕はやっぱり今回一つのヒントとして思うのは『多文化』。文化だけが理解できれば、差別か無くなるかのように。どこに行っても『共生』祭りでね、チョゴリを着て歌を歌えばお互いがわかったかのような。冗談じゃないと。私はむしろ『多元化』という言葉の方がむしろピッタリくるのではないかと。『多元化共生』。あるいは『多元化民主主義』という。そういった概念を持って、むしろそれぞれにそれぞれの歴史があり、個性があり、それぞれの問題はそれぞれのメンバーが決めるという『自決』。今は何でもかんでも『大が小を決める』になっていますから。それともう一つは自治とか分権という概念を、これからの在日コリアンの人権運動、あるいは人権を行政に訴えていく際に(必要とされると思うの)ですね。これもまた腹の立つ話が一杯あるのですけども、私はこれだと思っています。
 解放同盟が一人勝ちしたという理由の一つには、白川先生もおっしゃいましたけど、『すべて差別だと言い切ってきた自信と誇り』ですね、これはそうだと思います。これは大きいと思います。ただですね、またもうちょっと違う面があると思います。一つはやはり法律ができた。ということが、その後の大きな分かれ道になったということ。それから、これから是非、別の機会にまた議論したいのですけども、部落解放運動の人たちは戦前から『なぜ俺たちを差別するのか。差別は反対だ。』ということを相手に伝えるときに理屈は要らない。理論も要らない。なぜか。”同じ日本人”なのだから。同じ天皇の赤子(戦時中)であると。だから、なぜ差別をするのかということを相手に訴えるときに、理屈が要らないんですよね。在日の場合は、我々はね『そらあんたらは、しゃあない(仕方ない)やん』。『あんたらは外国人やからしゃあないやろ』と。国民年金もそうでした。公務員採用の国籍条項のときもそうでした。それは革新的といわれる人からも言われた、右翼からも言われた、労働組合の委員長からも言われた。『それはもうしゃあないやろ、外国人やもん』と。一つ一つ理屈立ててやらなければならなかったということ。
 しかし、現在の解放運動の場合は、これからどこに行くんだろうと。ある種同化的な、同化体質の強い日本だからこそ、ここまで来れた面もあると思う。しかしそれに乗っかっていって、自分たちはじゃあ消え行く存在としていくのかどうか。これはちょっと解放運動をやる人の中で色んな意見があるので、私も今後の参考になろうと思います。”部落民としてアイデンティティを持って生きるんだ”という考え方の人もいれば、そうではなくで差別は撤廃する。後は何にも無しで良いんだ’という.こういったところはむしろ我々も勉強したいところです。」

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