■事業から運動課題を見出す

柏木 「ただ今LAZAK(在日コリアン弁護士協会)の金先生か来られていますけれども、アメリカでも同じようなグループがたくさんあります。日系人の中ではジャバックというのがありますし、コリアン系だとかカバックというのがありますよね。黒人系でもありますし、色々な所であるわけですけども、そうした色々な問題に対して今の社会というのは法律で規定されている部分が非常に大きいわけですから、それに対して法律上の闘いを組んでいくと、我々の言い方からするとリーガルアドボカシーという形ですけども、リーガルアドボカシーを進めていったりすることも含めて、自分たちの置かれている状況を変えていくというのは大切だと思うんです。
 私は以前アジア太平洋法律センターというアジア系の法律センターにいたのですけれども、その時にやっていたことの一つとして、不法滞在者に永住権を与えるというプログラムがあって、そういうものを担当していたわけです。そこではサービスを与えて、法律に基づいて永住権をとれるようなサービスを与えるわけですね。そうするとその中で洩れてくる人がいるわけです。洩れたのはどうしてなのか、というような話になると法律上の不備だとか、法律が想定しなかった課題というのもあるわけです。そういうところで出てきた課題を裁判に持っていくなり、行政との話し合いに持っていくというような形で、さっき言いましたようにサービス、いわゆる事業の部分とあと運動の部分と、つまりアドボカシーの部分とを絡み合いながらやっていく。そうして法律の解釈が変わると、何万または何十万の人たちが応募できるような状況になっていく。そうすると、その事でまた事業としてサービス提供して永住権をとれる人が増えてくる。そうすると、結果的には86年の法律ですけども、86年の法律で不法滞在の人が三百万人ほど永住権を取れたわけですね。そういう人が5年すると市民権が取れるわけです。そうすると今度は主にヒスパニック系の人たちが取っていったわけですけども、ヒスパニック系の人たちの選挙における力が大きくなってくるというような流れが出てきているというのが、今のアメリカの都市の現象としてあるわけです、そういうのを細かいところで見ると、日常的な事業の色々なサービスをしながら、その中から課題を発見して、その課題に対して政策を提示するとか、法律を変えるとか。そういう形をもって、それをまた事業の方にフィードバックしていくというような形があると思うんですね。そうした形のつながりというのを何とか作っていくというような事が大事なのではないかなという風に思っています。」
佐野 「僕は教育学部にいる人間なので、『共生』という言葉は、僕の意識としては79年に養護学校が義務制度化されたとき、その時にその養護学校義務制度化に対して闘ってきた障害者団体の人たちか、英語で言うところの Compulsory Education 、“義務”教育というのを“強制”に、 Compulsory を義務と訳すか強制と訳すか、それを強制(きょうせい)教育と捉えると、それをひっくり返して共に生きるといったような事が初めなのではないかなというのが僕としては意識をしているんですよね。最初はそのような抵抗の概念として生じたのですが、それがなぜ『原発との共生』になってしまうんだと本当に許しがたい話だとは思うのですが。」

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