■国籍より国籍主義の克服を

佐野 「次いで国籍のことで言うと、大沼保昭という東大の法学部の、民闘連との関係でロクでもなかった人間がいるのですが、ただ彼が言っていた言葉の中で一つだけ。『国籍が決まったからどうこうじゃなくて、逆に国籍というのは権利の束として考える』ということを言っているわけですね。それは指紋押捺拒否の闘争の中で当時の人管の課長が裁判で『国籍というのは最後はどの国のために鉄砲を持つか』だと。でも国籍が決まっても、そもそも鉄砲を持つという、人民が国家のために奉仕するというのは本来おかしいわけで、人民のために本来国家はあるべき話であるわけです。そこがひっくり返されて、まさに尹さんの裁判(在日3世義務教育退学裁判)で京都市が言ってきているようなこともそうなのですが、そこで国籍かあるからどうだなのではなくて、その人には当然こういう権利はあるのだ。それが言ってみれば国籍なんだという風な捉え方ですね。今の日本の役所でも裁判所でもそのような判断はしてくれません。やっぱりそういう方向に持っていくと。すべての人が同じ背景を持っているわけではなくて、それから先、国際結婚も増え二重国籍も増えるわけですから、国籍で何かか決まるというように考えられたら堪らんのだと。その点を言っていく必要があるのではないかと思います。」

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