参加者からの意見
■「いろんな考えがある」ではなく「許さない」という言葉と思想性

白川善純氏
「ひとつは共生ということが問題となっているのですけれども、この概念そのものが無茶苦茶危ういものだと思うのですね。ただ色々な形で展開されてしまうと。僕は生業としては医者をやっているわけですけども、元々生物というのは他の種と共生しているわけです。この言葉を使うこともなく。一つのスペシーズ(species:種)を絶滅するまでやったのは人間という種だけなんですよ。他の種は他の種を絶滅させるような事はとってこなかったというのが地球の歴史なんですね。そういう事を含めてプリミティブ(根本的)に考えていく必要があるんじゃないかと思います。 ではなぜ、そういう事が問題なのかという事については、共生できないような仕組みが施工されて執行されてくるから、敢えて共生という言葉を出さざるを得ない状態が起こっているということなので、これをどう解決するかという観点が要るのではと思うんですね。さきほど佐野先生がおっしゃられた問題から『原発との共生』なんていうとんでもない言葉か出てくるというのは、一つは『共生』という言葉は生物学的用語でもあったから、エコロジーの運動か流行ってきた時に、一種の僕の申し上げたような人類史的反省から、人間が自然とどう生きていくのかということで『共生』が使われだしてから、これが今度そういう転倒した形で、原発は少なくとも化石燃料を燃やすよりも『地球に対して優しい』などそういうとんでもない事で『共生』が言われているということが起こってきた、という問題が起こってきたということですね。
 徐さんの論文を読んでいて思うのですが在日の運動の歴史が書かれているんですが、そういう流れの中で捉えていく必要はあると思います。
 ではその共生という問題を捉えるときに、今後の運動的展開の中でどう内容を膨らませていくのか、どういう風に発展させるのかという事について、ある意味では概念としての危うさを超えて、もう少しきっちりさせていく必要があると思います。色んな意見があるという事だけではなくて、『原発との共生などとんでもない』という事か出てくるようなことについては、要するに『許さない』というような言葉を言わない限り、いつまでたってもその概念が生きていくということです。それか一つですね。」

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